介助犬 うみ のお話
 

 うみちゃんは協会が認定した(まだ補助犬法が実施される以前です)1頭目の介助犬です。
 うみちゃんはお母さんが『多発性硬化症』という難病にかかるまで、家庭犬として可愛がられていた子です。

  日常生活が少しずつ不自由になるお母さん。そんな日々に「介助犬」という生活のお手伝いをしてくれる犬達がいることを知りました。うみちゃんを深く愛し、家庭犬としてきちんと訓練をしていたので「この子に介助犬として側にいてほしい!」と考えるようになりました。
でもそんな気持ちと「仕事をさせる事でストレスになるのでは・・・」それにうみちゃんの年齢は4歳、新しいことを学ぶには遅い年齢です。お母さんは悩みました。

 それでも、うみと一緒にどこにでも行きたい!うみちゃんの「ママ一緒にがんばろう」と言っている様なつぶらな瞳に励まされ決心をしたのです。

現実は『ペットを介助犬にする』そんな希望に添える訓練所が見つかりません。悩んでいた時に、介助犬と暮らす女性のホームページを知り相談することにしました。その方に紹介されたのが私達の協会でした。
訓練をした子が、全て介助犬になれる訳ではありません。最低3ヶ月間うみちゃんはおかあさんと離れ、一頭で訓練生活を送ります。適正が無ければ何の意味もなくなります・・・お母さんは難しい決断を下し、うみちゃんが家に来てから初めて別々の生活が始まりました。
 訓練では人と作業するのが大好きな性格を発揮するうみちゃん。家庭犬から介助犬へ難しい切り替えも、大好きなママのために乗り越えて、無事協会の認定を受けることができました。

 今度はお母さんに自信を持ってもらうためにアメリカで行われるアシスタンスドッグの国際会議に参加して、認定試験を受けることにしました。アメリカはアシスタンスドッグの先進国、バリアフリーが定着した生活でたくさんの人達がアシスタンスドッグと暮らしている実情を見に行くだけでもいい経験になるはずです。

 うみちゃんはもちろん、お母さんも初めての海外旅行。飛行機の中では座席の下で10時間静かに過ごし「さすがに介助犬ですね」とたくさんの人達に誉められました。
それでも日数が経つに従い飛行機や車での長い移動、知らない場所での宿泊・・・だんだん疲れてうみちゃんの神経が高ぶり、最後の方に予定されていた認定試験を受けることができないと言われてしまったのです。厳しいチェックです「落ち着かないうみちゃんに試験をするのは可哀想だ」という理由を言い渡されました。

 それでもお願いをして仮試験を実施してもらうことにしました。成績は180点中174点と素晴らしいものでした。
帰国のため本試験を実施する時間が無くなってしまったものの、介助犬として高い能力を持っていると評価されたのです。
残念ですが「また次回に挑戦したいね!」お母さんとうみちゃん、同行した皆で誓い合い、良い経験ができた旅でした。

 帰国したうみちゃんは一段とたくましく、益々お母さんと深いきずなを築いています。うみちゃんがお手伝いをしてくれたら心から「ありがとう」と言うお母さん。うみちゃんは家族としてパートナーとしてとても大切な存在「うみは体力的なささえになってくれるだけではなく、私を元気で前向きな気持ちにさせてくれるんです。」ここには家庭犬として元々可愛がられていたけれど、いろいろな事を乗り越え介助犬の仕事を持ったことでより深く結ばれる心と心があります。

 もっともっと色々な人達に「介助犬」を知ってもらいたい。理解してもらいたい。障害を持った人達が介助犬と共に自信を持って社会参加できる世の中に変わって欲しい。その希望をかなえるために、うみちゃんとお母さんは私達と一緒に普及活動をしています。

 お母さんは言います「うみがいる楽しみがあるからがんばれる!」
 私達もずーっと応援しています。「がんばれお母さん」「がんばれうみちゃん」

2004年、うみ号は厚生労働省が認定する介助犬試験に合格、国が認める介助犬となりました。
 この当時まだ、国の補助犬認定試験が設定されていませんでした。協会で認定した介助犬として活動していた時の奮闘記です。『介助犬と共に行動したい』という希望に前向きな気持ちで挑んだアメリカでの試験。このペアーが経験したほんの一部を書いてみました。沢山のことを乗り越え、これからも色々なことが待っているでしょうがうみ号と共に真剣に挑んでいくお母さんに大きなエールを送ります。